血栓内膜摘除術との出会い
国立金沢病院名誉院長
上山 武史
Figure

Removed specimen by thromboendarterectomy from the terminal abdominal aorta to the bifurca-tion of right common iliac artery and the bifurca-tion of left common femoral artery.
 昭和42,3年頃のことだったと思います.三代前の金沢大学第一外科教授であった卜部先生に教授室に呼ばれ,当科では今後人工血管を使用する手術はいっさい行わないことにすると宣言されました.下行胸部大動脈瘤手術例が退院後1カ月目に出血で死亡,鼠径部動脈瘤の患者において吻合部破綻が生じ,中枢の外腸骨動脈で結紮し一命は取り留めたが大腿切断で苦労するという悲惨な結果の連続に対する反省だったのだと思います.しかし,ようやく動脈手術が増えていた段階でしたので,種々の不満で胸が一杯になり張り裂けそうでしたが,入局10年に満たない私は引き下がらざるを得ませんでした.
当時,血行再建の対象になったのは Aorto-iliac occlusive disease が殆どで,それも症状が進み何らか血流増加をしてやらねば壊死となり,切断あるいは死亡しかない重症例が多く,緊迫した状態でした.私はこれら症例に対し人工血管を使用せず救肢するには血栓内膜摘除術(TEA)以外ないと考え,同法に関する多くの文献を渉猟しました.これにより,ヘパリンの発見やCarrel を始めとする血管外科の端緒を作り,発展させた人々の努力を知り,その後の私の血管外科に関する知識の基礎を得ると共に,血管疾患治療に対する哲学的考察にさえ大きな影響を受けたと思っています.これら多くの文献―DeBakey 一派の論文が多かったと思いますが―を持ち,外腸骨動脈狭窄例に血栓内膜摘除をしたいと教授に申し出ると,許可が得られました.これを最初として以後,腹部大動脈より両腸骨動脈にわたる長い距離の閉塞例も血栓内膜摘除で開通させうるようになりました(Figure).昭和51年,これら20例をまとめて報告しました1).その後も,昭和52年富山医科薬科大学に移るまでに約50例近くに本法を行い,安定した成績が得られるようになりました2)
昭和53年,Houston に行きますとDeBakey 一派の手術は完全に人工血管の時代になっており,Resident 達は TEA など見たこともないとの返事でした.私も帰国後の昭和55年以降は手術が容易で早い,成績が安定している,誰にでも確実に行えるなどより,専ら人工血管による再建に切り換えました.これに対し,君が TEA が良いと言うから努力しているのにとお叱りを受け,心が痛んだこともありました.
この TEA を一生懸命行っていた時,動脈硬化性病変部の処理において残存させる外膜の重要性を十分認識しました.これはその後,腹部大動脈瘤手術時の中枢吻合部の形成,頚動脈内膜摘除時に遠位離断を外膜と中膜が遊離しない部位で行う,大腿深動脈形成時の流出路確保などに生かされ,自信を持ってこれら操作を行いえました.動脈硬化性病変の強い動脈壁を縦切開すると切開された壁は石灰あるいはアテロームを持った内中膜層と外膜の間で裂け目を作ります.ここから外・中膜間の剥離を開始するのですが,このさい内弾性板の外側で分離しうるものと外弾性板の外側でしか剥離しえないものに分かれます.外弾性板外側における剥離では残る外膜が薄くなるので危険視する意見もありますが,外弾性板まで硬化病変が進行している外膜は厚く強固になっており,十分動脈圧に耐えうるし,縫合操作も支障なく行えます.この知識を血管手術を行う先生方が十分理解しておかれると役に立つことが多いでしょう. 私に血栓内膜摘除術を勉強させ,これに没頭させた故卜部美代志教授との緊迫した師弟関係を懐かしく思い出し,この文を記しました.

文  献
  1. 上山武史,富川正樹,吉田千尋,岩  喬:Lerich 症候群(腹部大動脈―腸骨動脈閉塞症)に対する血行再建術.外科,38:195-200,1976.
  2. 上山武史,富川正樹,岩瀬孝明,岩  喬:腹部大動脈―腸骨動脈閉塞症に対する血栓内膜摘除術の検討.日心血外科,7:29-30,1977.