血管外科と「QOL」 | ||
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Quality of Life.訳せば「生活の質」ということであるが,その意味するところは「これからの医療は寿命を延長することより,その中身が問われる時代ですよ」ということである.これまでの医療は延命のためにはあらゆる形態や機能を犠牲にしてもやむを得ない,むしろ当然だという意識のもとに行われてきた. 私が心臓外科を目指し外科医となった昭和40年初頭は,専門性がそれほど強く問われない時代であったので,心臓外科を志してもあらゆる疾患の受持医となり,あらゆる疾患の手術に携わった.いずれの手術でも「大きく切って,大きく取る」を徹底的に教育され,学会でも完全無比な根治手術,チャレンジアブル術者がシンポジストとして選ばれる時代であった.このような手術が患者にどれだけの効果をもたらしたかのエビデンスはなかったし,要求もされなかったが,当時ではなんら違和感もなかった.確かに,患者不在な面もあったかもしれない.しかし,患者に最高の医療を提供し,予期しない結果であっても,誠心誠意を尽くしたのだから,それはそれで「よし」とする医療環境であった.学問が進歩する課程ではこのような状況もある程度許されるべきかもしれないが,一方では,外科医にとって,新しい手術にチャレンジできることは外科冥利に尽きるということでもあった. 昭和50年ごろより,手術成績が明らかになるにつれて,チャレンジ手術という理解度が様変わりし始めた.手術にいかなる根拠があるかが問われ始めた. 血管外科手術には延命より「QOL」の向上を目的とするものが多い.閉塞性動脈硬化症がその代表的なものである.本疾患は全身疾患の一部分症状で,放置しても生命が脅かされるのはきわめて稀である.したがって,治療で「QOL」を損なうようなことがあっては絶対許されないし,ましてや,手術で生命を失うようなことがあってはならない. 下肢血行再建術は昭和40年ごろから代用血管の開発につれて積極的に行われるようになった.私が血管外科を始めだした昭和50年はじめには今日のような抗血栓性に優れた人工血管も,開存率を向上させる抗血小板剤も開発されておらず,Fontine I および II 度症例,あるいは膝下動脈に対するバイパス術は禁忌とされていた.腰部交感神経節切除術のみがおもな治療で,成績も芳しいものではなかった.昭和54年ごろより抗血小板剤が市販され,バイパス術後に使用されるようになり,大腿-膝上膝窩動脈バイパス術の開存率が飛躍的に高くなり,膝下膝窩動脈へのバイパスも行われるようになった. 患者の「QOL」を高めたいという真摯の気持ちで膝下膝窩動脈へのバイパス手術をしても,予期せぬ結果となったとき,血管外科手術の限界と治療の難しさを肌で感じ,砂を噛む気持ちに陥った経験を持っている血管外科医も少なからずおられると思う.今でこそ,下肢血行再建術が下肢切断に至らしめることは皆無となったが,術前検査,術後処置が不十分であった当時ではやむを得なかった.このように,医療はその時代時代で成績が異なってくるので,治療の目的を理解しないで,医療側の立場からのみで行うと患者を不幸に陥れる結果となることがある. 回診で閉塞性動脈硬化症(Fontaine III度)の80歳のおばあちゃんが「先生,私の一番欲しいものは『笑顔』と『やさしさ』よ.もう80歳じゃから,これ以上生きようと思わん.先生,若い先生や看護婦さんによう教育しちょってネ」 このおばあちゃんに血管外科医がしてあげられることは何でしょうか? 患者の権利ないし自己決定権の尊重が強く叫ばれている昨今,医師としては自分の専門の立場から,多岐な治療法が考えられる場合にはそれぞれの安全性,有効性を患者に説明することが大切である. 私は消化器外科,呼吸器外科,心臓血管外科と脳外科以外のすべての手術を40年間手掛けてきた.その経験を通じ,血管外科ほど「QOL」が問題視される領域はない.学術発表では診断・治療に伴う諸問題が問われるとともに,それに加えて,これからはその治療で「QOL」がどのように変化したかを示すデータ,たとえば「F-36」のような調査結果がどうであったかが問われる時代になるであろう.血管外科ほど客観的評価しやすい領域はないことを思えば,他領域に先駆けて「QOL」の状況を発表内容に加えるだけの先見性が欲しい. |
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