難病「マルファン症候群」に対する心臓血管外科医の挑戦 | ||
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マルファン症候群はフランスの小児科医によって報告されて以来,100年以上が経過した.本症は10万人当たり4~6人の頻度で発生するとされており,心大血管病変のために,比較的若年期の突然死を予防するために緊急手術を必要とし,遠隔期に再手術が必要とされることが多く,また遺伝性疾患のため,子供にも同様に発生するなど,我々が日常の診療でしばしば遭遇する疾患である.私自身初めて本症に特有な大動脈弁輪拡張症(AAE)に対するBentall術の論文を日胸外会誌に投稿したのは1980年である.それ以後20年以上にわたって本症の外科治療に携わり,日夜悪戦苦闘の歴史を繰り返しながら今日に至ったといっても過言ではなく,またそれに伴い非常に思い入れの深い疾患でもある. 心臓血管外科医の第一に克服すべき課題は,手術における“出血との戦い”であるが,AAEに対する画期的なこのBentall手技もご多分に漏れず,当時は冠動脈吻合部よりの出血,吻合部仮性瘤が最大の問題であった.冠動脈を大動脈壁よりボタン状にくり抜き,貫壁性の吻合を行うbutton techniqueの導入,被覆型人工血管の登場などにより待機手術の死亡率は 1 %以下となり手術成績は著しく向上した.なお,冠動脈周囲の大動脈壁を過剰に残して吻合すると遠隔期に動脈瘤化することから,グラフトの側孔は冠動脈口径に合わせるように小さく作るようになった.2002年,ジョンズ・ホプキンス大学のGottの報告では術後20年の生存率は74%としており,本症の自然予後の平均余命が30歳前後と比較すると,寿命が著明に延びたといえる.なお,本症は若い女性に多く見られることから,抗凝固剤を術後必要としない,reimplantation,あるいはremodelingなどの自己弁温存手術が,最近注目を浴びるようになった.今後は,本症のAAEに対してどちらの弁温存術式を選択すべきかに加えて,術後10年以上の遠隔追跡によるARの再発を検討して評価すべきであろう. AAEは大動脈径が 5 cmを超えると大動脈解離を合併する頻度が高くなる.このため,本症の急性A型大動脈解離は多くAAE を合併し,緊急の大動脈基部置換術が必要となる.運良く救命したとしても,術後遠隔期に弓部大動脈以下の解離腔が瘤化し,再手術の必要性が生じてくる症例を経験するようになった.この際,再胸骨縦切開下に弓部大動脈再建を行い,次いで左開胸下に胸腹部大動脈再建を行う複雑な段階的なアプローチを取らざるわけにはいかない.Crawfordも指摘する如く,弓部大動脈再建の危険因子として上行,弓部大動脈の手術既往が挙げられる.このため,急性例でも一期的に大動脈基部置換に加えて弓部大動脈置換術を行う方針を取るようになった.この広範囲の大動脈置換術を安全に施行し得るようになったのは,GRF glueを含む吻合部補強,吻合手技の向上,選択的順行性脳灌流による長時間に及ぶ安全な脳保護法の確立,病的弓部大動脈壁を残さないための分枝付き弓部大動脈人工血管の導入,organ malperfusionを予防するための末梢側吻合終了後の順行性送血,胸部下行大動脈以下の再手術を容易にするためのelephant trunkの応用などに負うところが大きいと思われる. 本症の最後に残された最大の難関は胸腹部大動脈の解離腔瘤化に対する左鎖骨下動脈起始部末梢側より腹部大動脈分岐部に至るいわゆるCrawford II型の胸腹部大動脈全置換術である.この手術の困難さは広範囲の手術部位による出血の制御,腹部臓器の保護等に加えて,現在の医学レベルでは完全に予防し得ない対麻痺の合併が挙げられる.1986年,Crawfordの報告では対麻痺の頻度は約30%と高頻度であったが,Coselliらの最近の報告では左心バイパス,CSFドレナージ等の補助手段の導入により約10%に減少し得たとしている.この対麻痺の原因はmultifactorialであり,単一の方法にて予防しうるものではないが,個々の症例の脊髄血行の状態を完全に理解し得ないことに起因するものと考える.この対策として現在,遠位側大動脈灌流/分節的大動脈遮断,CSFドレナージ,8mm人工血管のinterpositionによる肋間動脈再建,低体温の併用,種々の薬剤投与などを行っているが,未だ完全なものではない. 本症がフィブリン遺伝子の変異による先天性の大動脈脆弱に起因することから,終局的に大動脈弁輪部から腹部大動脈分岐部に至る全大動脈置換術を行う必要が生じてくるようになった.さながらサイボーグ人間みたいに全大動脈全置換術を受けた本症の患者を10例以上みているが,幸いにも脳,脊髄合併症が少なく,患者が比較的若年者であることから数回にわたる手術に耐え,ほぼ正常な日常生活を送っている.本症は遺伝的に大動脈壁脆弱に起因する全身且つ進行性の病変であることから,致死的大動脈病変を治療し,寿命が延長するとさらに他の部位に新たな病変が出現し,さながらモグラたたきの如く,再手術を繰り返すことになる.本症に対する遺伝子治療が将来実現されるまでは心臓血管外科医は常に手術手技の創意を凝らしながら,この難病に対して飽くなき挑戦をし続けなければならない運命にあると思われる.また,このような地道な努力が心臓血管外科分野の発展に大きく貢献すると考える. |
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