Lindbergh-Carrel Perfusion Pump に思う
中国労災病院院長
(県立広島病院名誉院長,広島大学名誉教授)

土肥 雪彦
 世界初の人工心肺装置ともいえる“Lindbergh-Carrel Perfusion Pump”を,Alexis Carrel と共に考案・製作した Charles Lindbergh の生誕百年を記念して,2002年 2 月 4 日,Charleston で The Charles Lindbergh Symposium が開催され,臓器保存,臓器培養のための灌流法,バイオリアクター技術開発などで著明な業績を挙げたものに Lindbergh-Carrel Prize が贈られている.
 川田 志明氏の巻頭言「血管吻合法の生誕百年」に,現在の心血管外科,人工心肺,臓器移植,組織培養,或いは再生医療等多くの分野に関わる先駆的な仕事をした Carrel の足跡,また Lindbergh との交流について詳述されており,興味深く拝読した.Lindbergh-Carrel Perfusion Pump は,現存しており,私自身も奇妙な縁で,これを実際に使い苦労したが,良い思い出となっている.重複するところもあるが,少し披露させて頂きたい.
 Lindbergh-Carrel Perfusion Pump 開発の経緯は,1929年に遡る.大西洋単独飛行を成功させた Lindbergh が,義姉 Elizabeth Morrow の心疾患を心配し知人の医師から Carrel を紹介されたことから始まる.外科的治療の可能性に関して相談したところ,Carrel は血液凝固や溶血,感染症の問題,開心術に必要な人工心肺が未開発なこと,など説明しながら,彼がノーベル賞受賞以降に主軸を置いている癌研究や組織培養・臓器灌流培養研究のため開発中の実験用人工心装置をLindberghに見せた.優れた航空機エンジニアでもあったLindberghは強い関心を抱き,人工心臓の前段階として,この装置の開発に当たることになった.
 苦労の末,1935年に Lindbergh-Carrel Perfusion Pump が完成する.外部からの混合ガス(酸素・窒素・炭酸ガス)駆動による拍動型灌流装置で,十分な酸素化と灌流液圧による流量調節も可能で,人工心肺としての機能を備えている.感染防止には特に気を遣い,オートクレーブ可能なパイレックスガラス製,外部からの細菌感染防止のために一体型閉鎖回路という複雑精緻な設計となったので,本装置の完成は全米屈指のガラス細工技術の持ち主 Otto Hepf 氏無くして,あり得なかったとも云われている.
 1835年 7 月の Time 誌表紙に,Lindbergh,Carrel とこの装置の写真が載り,大きな反響を引き起こしている.Carrel らは本装置と種々の組織培養液を用い,病的なくらいの無菌環境維持と無菌操作を心掛けながら臓器培養を試み,心臓,脾臓,膵臓では数日間,甲状腺では18日間の灌流培養に成功したと報告している.ただ腎臓では灌流 1 日で機能を失っており,灌流液の工夫が必要だろうと述べている.
 これらの成果は,1838年,Carrel,Lindbergh の共著“The Culture of Organs”に詳述され,開心術のみならず,人工臓器,臓器培養,移植などが可能となる新たな時代の幕開けを予感させることとなるが,Lindbergh-Carrel Perfusion Pump がガラス製の複雑な装置で作成が困難なこと,汎用灌流液の至適組成の問題,更に第二次世界大戦も勃発したこともあってか,ほとんど追試されることもなく終わる.1953年,Gibbon による人工心肺装置臨床応用の成功,1960年代に Belzer の臓器灌流保存器の出現を見るまで空白期が続くことになり,Carrel,Lindbergh の業績も忘却の淵に沈潜してしまったようである.
 1982年 5 月,文部省海外研修員として出張することになり,最初の 3 ヶ月を旧知の Seattle,Washington 州立大学移植外科 Marchioro 教授の教室で過ごした.Marchioro 教授は日本通で武士道に傾倒し,書を嗜み,自書した「尚武」の額を掲げる一徹な方である.臓器移植や臓器保存に関するCarrelの先駆的仕事に驚嘆し,彼の足跡を辿って Lyon 詣でを何度もしておられる.そのころ,彼は Georgetown 大学に保管されていた Lindbergh-Carrel Perfusion Pump をベースに装置の完全複製に成功しており,Carrel の業績の追試の意味もあって,ラット腎灌流保存モデルで試したいという.「単純冷却保存法でも肝は24時間,腎は48時間保存が可能となっているのに,そんな研究をして意味があるのだろうか」と素っ気ない返事をしたところ,翌日,誰に訊いたのか,漢字で「温故知新」が表紙に追記された資料を渡され,無理矢理,Perfusion Pump を押しつけられてしまった.もう一人の恩師の Scribner 教授の人工腎臓準備室の一部を借りて,朝鮮戦争時狙撃兵だったいう技官と共に,Lindbergh-Carrel Perfusion Pump を据え付け,試動することになる.総てパイレックスガラス製閉鎖回路なので,滅菌や無菌操作は容易,調整した混合ガス駆動を用いているのでシリコンチューブローラーポンプのようなシリコン微小剥離片流出の問題もないし,灌流液の酸素化もスクリーン型人工肺と同じ液層―気層接触で行われるので空気塞栓の心配もない.灌流条件も容易に調節できるので,Carrel の用いた modified Tyrode's solution をベースに HEPES buffer と PC,SM を添加した灌流液を用い,灌流圧70 / 50 mmHg,液温 20℃などの条件下でラット心,腎の灌流保存を試みた.臓器動脈に繋ぎ灌流液を送り込むカニューレの位置が奥にあり,しかもデリケートな形状で極めて壊れやすい.オマケに直せるだけの技術を持ったガラス細工の名人が一人しかいないので,壊すと大変だった.実験が出来ないのでイライラしながらも,何度も頭を下げて直して貰ったものである.それでも寝袋を持ち込んで頑張り,何とか 2 ヶ月半で,ラット心は24~48時間拍動し続けること,ラット腎は12時間室温灌流保存後,再移植して機能出現することなどを明らかに出来た.Marchioro 先生も喜んでくれ,跡継ぎの研究者も来たので,技法を伝授し,私は肝移植研修のため夏の終わりのSeattleを後にして,Pittsburgh 大学 Starzl 先生の教室に移らせて貰った.
 1983年 3 月末に海外研修を終え帰国したが,1 年後に Marchioro 先生から「ラット腎室温灌流24時間保存はすべて成功するようになった.今後は大型の Lindbergh-Carrel Perfusion Pump を試作し,大動物での腎,肝臓灌流保存実験を開始する.最終的には臓器培養も考えている」と手紙を頂いた.残念なことにその後,心筋梗塞で亡くなられ,先生の夢も終わった.
 先日,Marchioro先生から聞かされた Carrel をめぐるエピソードも思い浮かべながら,Carrel の Nobel Lecture を読んだ.いろんなタイプの血管吻合法と動物を用いた血管グラフト,下肢,甲状腺,脾臓,腎臓などの自己,同種,異種移植に関して詳細に述べている.中でも目を引くのは,総論と手技にわけ極めて具体的に,異様な詳しさで血管吻合術手技の細部について述べていることである.
 厳重な無菌操作が最も重要,感染野での血管吻合は必ず失敗すると警告しているし,起こりうる合併症として吻合部の狭窄,出血,血栓を上げている.それを防ぐための心得として,―内膜損傷を避けるための針糸の選択や血管鉗子の使い方,血管内腔の血液や凝血塊を Ringer 液で洗い流す,術野に黒い絹布(何故か日本製と指定している)を敷き針糸を見えやすくする,数点の支持糸を掛け縫合部狭窄を防止する,血流再開前に縫合線を調べ必要なら数針掛ける,血流再開時には縫合部へスポンジを軽く押しつけ暫く待つ,縫合線から出血が続くようなら 1,2 針糸を掛ける,完全な止血の後,Ringer液で術野を洗浄しドレインを入れること無く創部を閉じる―等々,親切で口煩い先輩から,若い頃の私達が繰り返し言い聞かされた心得の数々と重なる.
 1912年12月11日の受賞講演で,タキシード姿の Carrel 先生が貴賓を前にして延々と,こんな内容を話されたのかと微苦笑も浮かんだが,この執念だから抗生物質もヘパリンも無い時代に卓越した成果を挙げ得たのだろうと,大きな感銘も受けた.
 1894年,フランスの Carnot 大統領が Lyon で暴漢に刺され門脈に達する傷を受け,病院に運ばれるが,血管縫合法を知らない外科医達は為す術もなく彼を出血死させてしまう.血管縫合すれば助かるのにと憤慨したインターン生 Carrel は,志を立て当時 Lyon で刺繍では名人といわれた Leroudier 夫人に師事し,針糸の選び方から運針,縫合・縫飾の技まで学んでいる.Marchioro 先生の話によると,Carrel は少し厚目の紙の断面からレース用の微細な針糸を刺し,それが紙の上下どちらの面にも出ないようにする,次にその針を狙った面の狙った一点から針先を出し抜き取る,などの練習から始めさせられていたそうである.
 超一流の匠の技術,それを練り,作り上げたヒトの深奥に触れる.名人 Leroudier 夫人の傍で,針と糸を選び,黙々と運針を繰り返しながら若き日の Carrel の脳裏に去来したもの,やがて彼の生涯に亘って昇華し続けたものを思う時,胸が熱くなる.
 昨今,内視鏡下手術で,血管損傷よる大量出血から死亡した報告を見聞きする.Carrel だったら,まず十二分に腕を磨き上げる,次に万全の事故予防・回避策を考え用意する,更にその上,何処の動脈,静脈損傷であっても内視鏡下で迅速に対応・処理できるようなアプローチ法,斬新な器具,手技を,何通りか創造して,初めて良しとするだろう.
 孔子も,「故きを温めて新しきを知る,以て師と為るべし」といっている.Carrel 先生の爪の垢でも煎じて飲むかと,屡々思うこの頃である.

文  献
  1. 川田 志明:巻頭言「吻合血管吻合法の生誕百年」日本血管外科会雑誌,Vol. 13,No. 1,2004.
  2. Carrel, A. and Lindbergh, C. A.: Culture of Organs. New York, Hoebner, 1938.
  3. Carrel, A.: Nobel Lecture, Suture of Blood-Vessels and Transplantation of Organs.
    http://www.nobel.se/medicine/laureates/1912/carrel-lecture.html

閉じる