血管外科との関わり
福岡記念病院 院長
森   彬
 巻頭言として全く相応しくないが,私が入局した当時の九大 2 外科(現,消化器・総合外科)の血管外科グループの状況と,私自身の血管外科との関わりや雑感を述べたい.
 私はインターンの後,昭和40年に九大 2 外科に入局したが,井口潔現名誉教授が教授になられた 3 年目で,教室内には活気が漲っていた.血管グループには田代豊一,八木博司,草場昭というそうそうたる先輩がいた.田代先生はDr. DeBakeyの下での留学から帰国し,札幌医大から移られたばかりのバリバリで,八木先生は実験用の高圧酸素タンクの試作中,グループとしては井口式血管吻合器の試作中であり,また現在臨床で広く使用されている再建動脈における血流波形の解析中であった.私は血管グループ(5 研)の中で移植グループ(指導者:服部孝雄現広島大学名誉教授)に籍を置いたが,やがて43年 6 月のファントム・ジェット機の大型電算機センター墜落事件を口火として,医学部も全学連により封鎖されてしまった.昭和45年 2 月頃から学生の授業は再開されたが混乱はしばらく続き,研究室も復活まで数年を要した.
 昭和47年 4 月より前任地の新日鐵八幡記念病院に就職したが,当時はまだ重大労災事故発生が多少残っていた.48年に右上腕完全切断例が急患で搬入された.整形外科部長の碓井良弘先生と共に,指示で持って来させた切断肢の再接着を試み切断肢は生着した.美容的・機能的には満足とはいえなかったが,再接着された右手でギターを弾く姿を見て大変感動し,血管外科を専門科に選ぶ決定的なモチベーションとなった.本邦での上腕レベルでの再接着第 1 号であった.その後 2 例目は右手関節部完全切断,3 例目は肩胛骨を含めた左上肢完全切断,4 例目は右前腕完全切断であったが,何れも生着に成功し1),救肢のためには血行再建が大原則であること,また血管外科の魅力を体験した.51年から血管外科外来を新設し,草場先生に月 1 回,58年に琉球大学に栄転されるまで来て頂いた.52年には 3 カ月間血管外科の臨床研修で母教室に戻ったが,当時は井口式血管吻合器を駆使した左胃静脈-下大静脈シャントや,草場先生によるTAOに対するAVシャント併設直視下血栓内膜摘除兼自家静脈パッチ移植術が盛んに行われていた.0 ~IV型血流波形が臨床応用された時期でもあり,朝 9 時に始まり17時間後の午前 2 時に終わった手術が翌朝早期閉塞し,再手術に10時間かかった経験をした.早期閉塞を来すIV型波形がでるため何度も修正を加え手術が長引いたが,長時間記録の忘れ得ない手術であり,粘り強く決して手を抜かないことを学ばせて頂いた.当時は血流波形シミュレーションポンプの開発中でもあった.また晩期閉塞を来しやすいII型波形を示す慢性虚血肢モデル(poor run-off モデル)も実験的に作成され,異常血流条件下におけるグラフトの吻合部狭窄,内膜肥厚の原因などが解析された.このような血行動態に着目した臨床および実験的研究は,その後の岡留健一郎先生の異常血流下におけるグラフトの機能の評価や臨床的遠隔成績の検討,古森公浩先生の血管内皮由来平滑筋弛緩因子の研究をはじめとした内膜肥厚抑制,遺伝子治療へと発展していった.
 56年には 3 カ月間であったがシアトルのDr. Sauvageの下に留学する機会を得た.先生は手術日には 7 時半から縦に 2 例CABGを行っておられたが,翌朝手術場に行くとAMIの緊急手術を夜中から始めていたことも数回あり,主催されるBob Hope Heart Instituteでのリサーチの指導,クリニカル・オフィスでの診療と,超一流の医師のバイタリティには深い感銘を受けた.Creighton Wright, M. D.の Arterial Surgeryに投稿中であったEXS Dacron人工血管を用いたAXFバイパス,FPバイパスの原稿のコピーを,HaimoviciのVascular Surgery第 3 版に掲載された原稿と共に頂いた.AXFバイパスの 2 年半の開存成績は100%,AKFPバイパスの 3 年開存率は86%とよく,帰国後早速FPバイパスのグラフトとしてEXSの使用を開始し,本学会でも成績を報告した.その後の20年間に行った症例の開存成績を前任地での同僚の三井信介先生が報告してくれ2),Dr. Sauvageにも別冊をお送りした.
 ところで,弘法は筆を選ばずというが,長年末梢血管の手術に携わってきて,私は手術の器械に益々こだわるようになってきた.持針器,摂子,鉗子,煎刀など色々な器械には長さ,重さ,湾曲具合,バランスなど,微妙な使い勝手がある.気に入った器械を決めて使用していたが,段々注文するようになった.他科にも使わせたので手術室からの苦情はなかった.FPバイパス用のフィンガータイプの持針器は少しバネを強くしたものを使用していたが,門脈系と下大静脈のシャント手術では短く,23.5cmのものを作らせた.やがて食道静脈瘤の治療は硬化療法が主流となり,定年退職の際に使い古した持針器と組で,金メッキをして額に入れて贈ってくれた.居間に置き懐かしく眺めている.AAA手術では腎動脈,腸骨動脈周囲などの剥離のため数種類のKelly鉗子を作らせ愛用したし,横径30cmの大きなレバーハーケン付きのGosset開腹器を作らせた.これは上腹部から下腹部までの大きな開腹創に対応でき,中枢側も左腎静脈まで助手なしに露出でき重宝した.AXFバイパスでは,中枢吻合を行ったグラフトをそけい部に引き出すため全長47cmの長い,湾曲の緩い麦粒鉗子を作らせた.この鉗子はBKFPバイパスの際,内転筋間ルートで末梢吻合を行ったグラフトをそけい部に引き出す時や,食道癌手術で胃管を胸骨後ルートで頸部に持ち上げる際にも便利であった.また膝下部の膝窩動脈の露出には,両側の鈎の深さが1.5cm,4.5cmと違う段違いの開創器を作った(アイデアは三井先生).同じ形で鈎の深さの違う開創器 2 組の鈎を 1 本ずつ付け替えた物で,脛骨側が浅くヒラメ筋側が深い鈎となるようかける.これも開創器が邪魔にならず非常に使い勝手がよい.使いやすい器械の使用は当然きれいな手術につながるが,手術の手順についても熟練工が物を作るように,同じ手術は常に同じ手順で行い,術式により血管露出,吻合の順序・方法,使用する器械などを統一している.同じように行うので助手も手順になれ,スムーズな手術になる.
 学会専門医の認定では一定の症例数を経験することを要求され,心臓血管外科学会でも同様である.末梢血管の手術件数は,1996年から1998年まで 3 年間の血管外科学会事務局が行った,地方会に登録している全国305施設の調査(依頼数は445施設)では総数は124,444件であった.このうち心臓血管外科専門医認定の経験点数とならない経皮的血管形成術,下肢静脈瘤手術,腰交切などを除くと61,781件となり,1 年間では20,594件である.2004年の血管外科学会の会員数は2,630名,参考までに,単純に割り算すると一人当たり年間7.6件(難易度Cは0.48件)となる.これに対して専門医認定申請のための手術点数は(同一手術は 4 例までしかカウントできず,難易度Aで 3 点,B 4 点,C 5 点,第一助手では半分の点数)総合点数250点以上という厳しい基準である.制度自体のスタンス,また血管外科としては血管内手術や,高度な知識と技術が必要な静脈弁形成が点数に入っていないなど問題があるが,今後血管外科学会員で心臓血管外科学会の専門医の認定をとれる者が何人でるのだろうと幽愁の念に駆られる.施設として各々の血管外科医の取得点数を把握し術者を決めることも必要になるが,結果として手術の質の低下があってはならず,技術の取得のための教育が求められる.多くの血管外科医が専門医を取得できるよう配慮が必要である.専門医が増えることなしに血管外科分野の発展はなく,血管外科に大勢の後輩たちが集まることを期待してやまない.

 日本血管外科学会旧事務局から手術件数の集計結果を頂きました.有難うございました.厚くお礼申し上げます.
文  献
1) 森 彬,江口 博,坂田久信:切断肢再接着.血管損傷,久保良彦監修,東京,1990,現代医療社,159-164.
2) 三井信介,森 彬,山岡輝年,他:Externally Supported Knitted Dacron Graftによる大腿-膝窩動脈バイパス術-20年の成績-.日血外会誌 13:7-12,2004.
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